41年間、ともに生きた二人
ものがたり
大阪万国博覧会が開催された1970年。 生まれた場所、時代が異なる二人は、撮影所の一角で運命的な出会いで結ばれます。 記録係の槙坪夛鶴子(30歳)。見習い助監督の光永憲之(23歳)。
つかの間の幸せでした。 槙坪さんは無理がたたってリウマチを発症、寝たきりの生活を余儀なくされてしまいます。 毎晩、仕事が終わってから身の回りの世話に通う光永さんは、二人の交際を認めない父親から勘当を言い渡されたのです。 以来、41年間、難病と闘いながら、映画人生を共に生きた二人の夫婦史が綴られます。
妻は重いリウマチを抱えながら、夢に向かって生き抜きました。
私は妻の生き方から多くの事を学び、私に生きる力を与えてくれた妻に感謝するばかりです
共に歩み、夫婦の思いを交えながら、仕事、子育て、病との闘い、親の介護を通して、お互いを必要とする関係を築いていった夫と妻。 生き方、価値観が異なる二人を強く結びつけてくれたのは、「映画」だったのです。