槙坪監督が残してくれたもの
田口ランディ「被爆のマリア」との出合い
映画『少女の夢〜いのちつないで〜』の企画が持ち上がったのは、槙坪夛鶴子監督が亡くなってから。でも、構想自体は生前から槙坪監督の手であたためられていました。
私が、田口ランディ著「被爆のマリア」に出合ったのが2006年。書店でふと白地に傷だらけのマリア像が浮かぶシンプルな装丁が目にとまり、手にしました。読んでみると短編集でした。特に「イワガミ」に強く惹かれ、後日、槙坪監督に手渡しました。
監督が、自身の過去の被曝体験を映画化することはできない、したくない
と、話すのを日頃から何度も耳にしていたので、
もし小説「イワガミ」が、被爆者のつらい、苦しい体験を綴った物語だったら、私は薦めなかったかもしれません。
それから時間がだいぶ経って、2011年の7月8日、監督の誘いで、田口ランディ氏と写真家の八木清氏による「グレイト・スピリット/カーティス、サルダール=アフカミ、八木清の写真」トークイベントに行きました。 会場は監督の母校早稲田大学、小野記念講堂。終わり際、監督が急に控え室に行くと言いだして私が逡巡していると、電動車椅子のモーター音を唸らせながら、さっさと関係者扉の中へ入っていってしまいました。あわててあとを追いながら、この行動力=バイタリティこそが槙坪夛鶴子のパワーの源なのだな、と感じ入りました。
挨拶に伺うと快く応じてくれたランディさん。 静かに語り合う二人が初めて言葉をかわした日でした。 帰りの電車のなか、車椅子の槙坪監督が私を見上げながら、少し興奮気味に、息を弾ませ話してくれたのをいまでもよく覚えています。